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岩坊さま 〜「何処」に立ち返るのか〜

前回の私の書簡タイトルは「〜これから何を『待つ』のか〜」でしたが、その次の書簡をupして下さった直後に、岩坊さんからいただいた「継続できない事情が・・・」の深刻なメールによって、文字通りこのブログへの復帰をお待ちする事になろうとは!思いもかけない事でした。その時点でのご事情から察するには「待っても再開できる可能性はない・・・」に近いもので、それは岩坊さんの恣意、気まぐれではないことがわかるだけに、まだ誰にも開設をお知らせしていなかったことをよしとして閉鎖する事も考えたわけですが、、、
一方、損得利害も関係ないこのメディアのつながりから、いったい何ができるのかという実験的意味と岩坊さんの休止理由もまた別のこと。「待つともなく待つ」ことが私の側では可能であったということでもあります。岩坊さんの、諸問題を解決しての復帰をお待ちしながら私のひとり書簡での継続とするか、それとも閉鎖するもよし、と漠然と半年くらいのスパンを考えておりましたので、思った以上に早い再開を私は喜び、on line上では「何事もなかったように」継続できる事を嬉しく感じています。
これを書きながら私の左脳が何を考えているかといいますと、1対1で取り決めて開始したこんなささやかなブログであっても、どちらかの周辺事情の変化で継続の可・不可が問われる・・・それは「待つともなく待つ」ことができるけれども、「待つ」だけでは解決にならない「契約打ち切り」を宣告された「非契約社員」という立場の方々に象徴される昨今の経済社会の変化・・社会的、国家的な経済事情の在り方の推移を、それぞれの立場で何が考えられるだろうかということです。この往復書簡の発想の発端となった原丈人さんの「21世紀の国富論」を読んで、「自分もなんだか変だとは思っていたけれど、ベンチャーキャピタリストの立場で『会社は株主のものではない』と言い切る原さんの本を読んですっきりした」と語ってくれた方がおりましたが、多くのビジネスリーダーを生み出して来た「資本主義の士官学校」ともいわれるハーバード・ビジネススクールの教授が「ビジネス教育に関わる者は自問しなければいけない」などとの発言で論議を呼ぶなど(昨年11月ジェイ・ローシュ教授(76))の昨今、「なんだか変」だと思いながら「なんとなく」公言できなかったことが「やっぱり変だよね?」と発言できるメディアや関係性を、私たちは目指す事ができるのではないでしょうか。

そんな「なんだか変だな」と思う根拠を、多くの人が信頼するから自分も信頼するというのではなく、深い本質的なところ、また自分自身の内的指針に従って堂々と言葉にできる事においてはかねてよりご自分のブログやmixiで表現をされていらした岩坊さん、「時間をかければものごとなんとかなるもので」とお書きになっていますが、それはまさに「なんとかした」ことによって機が熟したのだと感じ入っています。

さて楽劇「ニーベルングの指輪」ですか!
「ワルキューレ」の雄叫びをあげながら(?)ワクワクと楽しまれたご様子を想像しながら「金銭と契約の社会が破局にいたり、愛の世界へ」という長大なテーマ性が昨今の世界情勢にピッタリであるという事も、今回の「異変」が有史以来の大変化のはじまりの鐘の音なのではないかという点についても全く私も同感です。
以前、岩坊さんと私のそれぞれが、かつて着眼したことがあった事を知って驚いた「エンデの遺言」を発端とする経済の話も引っ張りだしてみたくなりますが、今回は岩坊さんが次に用意されている<「国富論」という言葉から連想される国民経済学のイメージについて>のお手紙を楽しみに、今日はようこそお帰りなさいの挨拶で手紙を閉じたいと存じます。

このブログにコメントを下さっている方がいらっしゃいますね。これから拝読して、そちらにもお返事を書かせていただきたいと思います。

それでは

miraijinより

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