経済・政治・国際

未来人さま  ~ワーグナーに触発されて~

あけましておめでとうございます。

予想どうりというか、やっぱり、だいぶ間があいてしまいました。

いろいろ身辺がごたごたしていますが、メールにてご相談を兼ねてお知らせさせていただきましたように、この度は、わたしのほうのまったく個人的な事情により、この往復書簡を継続することが困難となってしまっていたことお詫びいたしいます。

ほんとうに申しわけございません。

ひとつのテーマで、必要なことを必要なだけ書いてみる絶好の機会を未来人さんに与えていただけたことをとても喜んでいたのですが、とても残念です。

と、この間、悲嘆にくれていたのですが、ここにきてなんとか周囲の理解が得られて、この往復書簡を再開する目処が見えてきました。

一時は、やむを得ない処置で、急きょ総論的な内容だけをある程度書かせていただいて、いったん私の方からの書簡を打ち切らせていただくことも考えていたのですが、時間をかければものごとなんとかなるもので、あらためて仕切りなおし、というほどのところまで進んでいたわけでもありませんが、再開させていただきたいと思います。

それで、古い下書きをベースにした話になりますが、毎年、年末というとNHKFMで好例のバイロイト音楽祭、ワーグナーの「ニーベルングの指輪」が放送されます。

と、いきなり話がそれますが、昨年秋頃から私はワーグナーの超大作、楽劇「ニーベルングの指輪」の感動にどっぷりと浸っております。

以前、私の店のほうのブログで紹介させていただいたものですが
http://blogs.yahoo.co.jp/hosinopp/24937752.html
小学館のDVD BOOK 魅惑のオペラシリーズの特別版
「ニーベルングの指輪」全4巻との出会いに端を発しているものです。

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なかなか長時間集中できる時間がとれなかったのですが、11月ころようやくすべて観終わりました。

待ちに待った第3夜 「神々の黄昏」約270分!実に見ごたえがありました。
ナマではないものの、昨年はこのシリーズをじっくり味わえたことだけで十分な収穫のあった年であると思えます。

この超大作は、「金銭と契約の社会が破局にいたり、愛の世界へ」ということが楽劇のテーマとして掲げられています。

これこそ金融危機の勃発した今の世界情勢にピッタリであることも偶然とは思えません。



かつて小鳥の声を聞き分けることのできたあなたの耳に
今のあの小鳥たちのさえずりの声は聞こえないの?

とジークフリートへ問い返す言葉は、そのまま、現代のわたしたちへの言葉でもあります。

わたしは最近、ある親しいお客さんから同様の言葉をかけられて、ふと今の自分の姿に気づき、mixiやブログの世界から一線をひくことにした経緯があります。

このことはこの往復書簡の中断のひとつの背景でもあります。

ワーグナーがこの超大作を通じて投げかけた、金銭と契約の社会から、愛の世界へというテーマは、長い間、芸術の世界だけで語られるロマンの話として受け取られてきたと思います。

それがこの度のアメリカ発の金融危機によって、急に世界中の人々にとって、金銭と契約による世界というものは絶対のものではないということが、初めて現実味を帯びて語られる時代に入ったのを感じます。

前回のサブタイトルを早々に否定するようなはなしで恐縮ですが、50年に一度どころか、100年に一度の大変化が今起きていると言われていますが、わたしは今回の変化は、よく考えてみると有史以来の大変化のはじまりの鐘の音なのではないかと思っています。

ちょうどこの金融危機が勃発したときに、岩井克人さんが2008年10月17日の朝日朝刊にi以下のような記事を書かれていたことを他のネット上のコミュで知ったので知りました。

【貨幣それ自体が実は純粋な投機】というその記事の抜粋は以下のようなものです。

資本主義はなぜ不安定なのか。

それは基本的に投機によって成立しているからだ。

単純にいえば、たとえば自動車会社は、自動車を自分で乗るためでなく、将来だれかが乗るために買ってくれるという予想のもとにつくる。そこに一種の投機の要素が入っている。
また、株式、債券、為替といった金融市場は、実需とはほとんど関係ない。プロの投資家や投資ファンドが、お互いの思惑で売り買いしている。ほとんど投機によって動いている。

主流派経済学は、高い時に買いやすい時に売る頭の悪い投資家は、すぐに市場から淘汰され、頭のいい投資家だけが残るから、市場は安定し、投機は安定につながると主張する。

それは、みなが相手の予想や思惑を探りながら動くことがない、牧歌的な市場だけの話だ。

資本主義全体が投機であり、本質的に不安定だと私が考えるのは、実は資本主義を支える貨幣それ自体が純粋な投機と考えるからだ。

貨幣の存在は、物々交換の手間をはぶき、経済を大いに効率化した。

しかし、貨幣それ自身に、本質的な価値はない。

それを何かと交換に他の人が受け取ってくれるという予想し、また、その人も他人が受け取ってくれると予想しているから、持っているにすぎない。

だから、隠された形ではあるが、貨幣自体が投機なのであって、結局、貨幣の信用は「みんなが貨幣であると思っているから貨幣だ」という自己循環論法で支えられているにすぎない。

そう考えると、貨幣は効率化をもたらすが、半面、大変な不安定をもたらす可能性を持つ二律背反的な存在になる。

貨幣が支える資本主義において、新古典派経済学者が説くような効率と安定の共存はありえない。

今回の金融危機には、この貨幣の問題のエッセンスが入っている。震源のサブプライムローンは、本来、信用度の低い人に貸すリスクの非常に高いローンだ。
それが1件なら、どんな金融機関も引き受けないだろう。
でも、それを大きく束ねて証券化すれば、リスクは薄められて見えるし、さらに多くの金融商品と組み合わせて厚く積み上げ、世界中にばらまくことで、そのリスクは表面から見えなくなった。

こうした金融商品は、多くの人々の間で安定的に取引され、すぐに換金できると思われていた。
あたかも、人々が最も信用する貨幣のように見えてしまった。

多くの人が信頼するから信頼するという自己循環論法が、ここにも作用している。

その隠されたリスクだったサブプライムローンが破綻すると、ドミノ倒しのように、すべての金融商品の信用が失墜したのが、今回の危機の本質だ。

まだ経済がグローバル化していなかったかつての世界恐慌と今回が違う大きな点とは、今後、基軸通貨であるドルの価値が大いに揺らぎかねないことにある。

貨幣の純粋な投機としての不安定性の問題は、これまで隠されていたが、今後は表に出てくるかもしれない。
   
                                   (ここまで要約引用)

 こうした貨幣そのものの投機性という視点まで掘り下げて今の経済危機をとらえられるかどうかが、今回の金融危機の問題解決をどのような方向にもっていくかを分ける大事なポイントになるかと思うのです。

 もちろん、現実的には行き過ぎた金融資本主義のさまざまな規制を強化することも大事です。でも、私たちの生活を破壊し続けるしくみ、経済的に遅れた国々をさらに貧困と飢餓に陥れるしくみは、そうした金融資本主義の規制だけでは決して解決しません。

 ここで毎度ぶつかる、貨幣・交換・信用といった難問にまで立ち入ることはできません。

でも、このたびの金融危機を金融制度の矛盾としてのみとらえるのではなく、人類が有史以来つきあってきた貨幣というものの本質にかかわる問題として提起されているということは、きちんとおさえておきたいと思うのです。

わたしの頭のなかに、今もずっとワーグナーの音楽が鳴り響いています。

あの超大作とまではいかなくても、このやっかいな問題を、これから未来人さんとのやりとりで、じっくりと掘り下げていくことが出来たならば存外の幸せであると感じます。

原丈人さんの『21世紀の国富論』をベースにさせていただきながら、話をすすめる予定ですが、次回に、この本がタイトルゆえか、そのすばらしい内容が読者に届きにくかった原因を私なりに、「国富論」という言葉から連想される国民経済学のイメージについて書いてみようかと思っています。

うまく書き出せたら、良い年のスタートになれそうです。

では。

                     かみつけ岩坊より

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